世界の間違いやすい首都③【トルコ・スイス】
※以下の解説はあくまで一つの説であり、それ以外にも「諸説ある」ということを頭に入れながらお読みになってください。
トルコの首都はアンカラ
イスタンブールではない。トルコ最大の都市であり、世界史における最も重要な都市の一つであるイスタンブールは首都ではない。ただ、首都アンカラはトルコ国内でイスタンブールに次ぐ大都市であり、西アジア・中東でも有数の大都市である。
現在のトルコ共和国の前身であるオスマン帝国(1299~1922年)の時代には、400年以上にわたりイスタンブールに首都が置かれていた。
しかし、第一次世界大戦(1914~1918年)で敗戦国となったオスマン帝国は戦勝国によって分割が進められ、さらにギリシャによってトルコ西部(アナトリア半島西部)が占領された。アンカラにもイギリス軍とフランス軍が進駐した。1920年にこれに反対・抵抗するトルコ人たちは、後にトルコ共和国の初代大統領となるムスタファ・ケマル・アタテュルクを首班として、アンカラにトルコ大国民議会政府(アンカラ政府)を樹立した。そして1923年にアンカラを首都としてトルコ共和国が樹立された。
また、新生トルコは共和国として樹立されたため、オスマン帝国の古い権力構造や文化が根付いている古都イスタンブールよりもアンカラで新しい政治を行う方が都合良かったという面もあるという。
とはいえ、アンカラの歴史も古く、古代のヒッタイトや古代ローマの時代からアナトリア半島(小アジア)中部地方の中心都市である。
→古代からいくつもの歴史的事件の舞台となっていて、世界史上の超重要都市であるイスタンブールの歴史について調べてみよう。イスタンブールという土地の重要性について、主に地理(立地)の面から考えてみよう。
→ムスタファ・ケマル・アタテュルクの政教分離政策について調べてみよう。彼はトルコ政治・社会を何の宗教から分離しようとしたのか?
スイスの首都はベルン
チューリッヒでもジュネーヴでもない。スイス最大都市であるチューリッヒ、それに次ぐ規模の都市であり、国際連合の機関など多くの国際機関が置かれている国際都市ジュネーヴは首都ではない。首都ベルンの規模は、チューリッヒ、ジュネーヴ、バーゼルに次ぐ4番目。
スイスは、それぞれ使用言語の異なる州(地方)が集まって成り立つ連邦国家である。スイスは大きくドイツ語圏とフランス語圏とイタリア語圏に分けることができ、とりわけスイス人の約6割がドイツ語を、約2割がフランス語を使う。スイスの北部と中部がドイツ語圏であり、西部がフランス語圏であり、その境界に位置するのがベルンである。つまり、ドイツ語圏(ドイツ語話者)とフランス語圏(フランス語話者)の中立的な立場としての役割を果たすためにベルンに首都が置かれている。
また、ベルンは、チューリッヒやジュネーヴやバーゼルよりも国境から遠い場所に位置するので、国防の観点からみて、上記の諸都市よりも首都に適している。
ちなみに、スイスは歴史的に外敵による多くの侵攻を受けてきた土地であるために、かつ永世中立国という立場を堅持するために、武装や軍事力に重きを置く国である。
他にも、ベルンに首都が置かれた理由としては「チューリッヒへの一極集中を避けるため」というものもあるのだそう。
ベルンは、「ベルン旧市街」という名で世界文化遺産に登録されている。
アルベルト・アインシュタインはベルンに住んでいて、特許庁に勤めながら研究に励んでいた。ベルンでアインシュタインは、科学に革命をもたらし現代物理学の基礎を築くことになった『光量子説にもとづく光電効果の理論』『ブラウン運動の理論』『特殊相対性理論』という論文を執筆した。これらの論文が発表された1905年は「奇跡の年」と呼ばれる。
スイスで最も古い時計塔の一つであり、ベルンの象徴でもあるツィットグロッゲ(1218~1220年に建造)は、特殊相対性理論のアイデアの源となった。アインシュタインは、走るバスの車内から時計塔の針が止まって見えることから特殊相対性理論を着想したという。
今もベルン市内には、アインシュタイン・ハウス、アインシュタイン・ミュージアムがありベルンの主要な観光地となっている。
→世界遺産に登録されている街を探してみよう。
→公用語が複数ある国を探してみよう。なぜ公用語が複数あるのか?ということについても歴史的・地理的・文化的な観点から考えてみよう。調べてみよう。
→歴史上の偉人が生まれた or 住んでいた街について調べてみよう。
→永世中立国とは何か?考えてみよう。調べてみよう。