89年後に廃止される天の川鉄道【ドラえもん生誕90年前記念】

 ドラえもんが生まれるのは2112年9月3日、すなわち90年後の今日です。現在24歳の塾長は114歳まで生きていられればドラえもんにお目にかかることができるということです。ちなみに長寿の世界一は、今年の4月に亡くなられた田中カ子(かね)さんの119歳です。さて私は何歳まで生きられるんでしょうか?

 という話はさておき、実はドラえもんが生まれる1年前にあることが起こっているのです。

 ”天の川鉄道” が廃止になるのです。

 と言っても、何のこっちゃ分からないと思うので、天の川鉄道が登場する「天の川鉄道の夜」(『ドラえもん』単行本20巻)というエピソードについて簡単に説明します。

 ドラえもんを地球に残して、のび太たちは天の川鉄道という宇宙を走るSLに乗車します。しかし天の川鉄道は廃止されることが決まっており、のび太たちが乗車した便が最終便だったのです。彼らは終着駅のハテノ星雲に着きましたが、そこは何もない土地であり、しかも最後の仕事を終えた天の川鉄道は去ってしまいました。帰る手段を失ったのび太たちは途方に暮れます。しかしドラえもんが “どこでもドア” で彼らを助けに来ます。ドラえもんは彼らの勝手な行動を咎めながら、こう言います。「 “どこでもドア” が発明されたから、不便なSLは廃止されたんだ」。

 

 今回注目するのは、「 “どこでもドア” の発明により天の川鉄道が廃止されたこと」です。

 そもそもなぜ、”どこでもドア” の発明により天の川鉄道は廃止となったのでしょうか?

 これはシンプルなことです。天の川鉄道のSLよりも “どこでもドア” の方が速く移動できるからです。しかも圧倒的に速く。というか一瞬で。”どこでもドア” を開くと、そこはもう目的地です。この秘密道具に勝る移動手段なんて存在しないでしょう。

 さらに、“どこでもドア” が「一家に一台」的な感じで社会に広く普及すると、いよいよ移動手段として鉄道を用いる必要性が大いに減じてしまうわけです。いや、どこでもドアが開発されて普及したとなると、移動手段としての鉄道の必要性は皆無に等しくなってしまうでしょう。このような状況に置かれると天の川鉄道は採算をとれなくなり、路線の維持が困難になってしまうでしょう。

 収益が見込めるのであれば観光路線や観光列車としての業務に転換するという選択肢もあると思いますが、収益が見込めず路線の維持も困難になるのであれば、鉄道・路線の廃止・廃線という選択肢が現実味を帯びてきてしまいます。

 このような事象はなにも『ドラえもん』の世界、フィクションの世界だけで起きるものではありません。いや、むしろ現実的過ぎる事象です。『ドラえもん』の世界のようなSFファンタジーの世界にもこんな現実的な社会問題が存在するなんて!という感じです。

 実際の日本においても、バスやトラックの普及、モータリゼーション(自動車が社会に広く普及し生活必需品化すること)、飛行機や新幹線などのより高速な移動手段の登場などが、鉄道の減少・廃止の要因となっていますね。

 また、鉄道以外にも「あるものが、自身よりも高速(高効率)なものに取って代わられる」という事象はまだあります。例えば、手紙。

 便箋(手紙を書くための紙)と筆記用具を用意して、ペンや鉛筆を持って本文を書いて、送り先の郵便番号・住所・氏名を書いて、そして切手を貼ってポストに投函するか、郵便局で料金を払って送る。これが手紙を書いて送るまでの大まかな手順です。

 しかし、電話が登場・普及したり、パソコンや携帯電話の登場・普及に伴って電子メールが普及したりしたことで、手紙は徐々に影が薄くなっていきました。さらに近年、スマホの登場・普及に伴ってLINEなどの無料メッセージアプリやTwitterなどのSNSが普及しました。もはや手紙どころか電子メールの影すら薄くなっている感じです。

 手紙は、自身よりも高速で高効率なものに取って代わられたのです。

 とはいえ、日常使いされなくなっただけで、手紙は残っていますよね。鉄道もまた、廃止されずとも、規模を縮小したり観光路線化したりして残っているものも当然あります。

 というように、「天の川鉄道が、自身よりも高速で高効率な移動手段である “どこでもドア” に取って代わられた」というかたちの現象は結構我々に身近なものなのです。言ってしまえば、人間の歴史は、技術の歴史はこの現象の連鎖によって紡がれているのです。このように考えてみると、20世紀だろうが21世紀だろうが22世紀だろうが、「何かが、より高効率な別の何かに取って代わられる」という現象・問題は起こるのでしょう。

 みなさんも「天の川鉄道と “どこでもドア” 」の関係に似ている事象を他に探してみましょう。古今東西に存在するはずです。