なんで勉強しなければならないの?【将来の夢と世界の指標】

 「なんで勉強しなければならないの?」という疑問を抱いたことがある人はかなり多いのではないでしょうか?

 なぜ、先生や親など周りの大人は子どもに「勉強しろ」と言うのでしょうか?

 「勉強」は、特に子どもたちにとって最も身近な存在であり、子供たちにとって最も悩みの種となる存在でしょう。しかし「勉強」は、大人になってからも身近な存在であり続け、悩みの種となり続ける存在なのです。

 子どもの頃に積み重ねた「勉強」の経験・習慣や子どもの頃に「勉強」によって得た実績が人生を左右するのです。

 今回は、塾長が24年間生きてきて「勉強」に関して思ったこと・気付いたことについて自由に述べていきます。

 まず言っておくべきことは、大人は子どもに嫌がらせをするために「勉強しなさい!」と言っているわけではないということです。大人は子どもを罰するために「勉強」を強いているわけではないのです。

 ただ、大人が子どもに対して「勉強しなさい!」と言うとき、往々にして説明不足であったり口下手であったり不器用であったりするのです。

 「なぜ勉強しなければならないの?」

 この疑問が解消されない限り、子どもは勉強する気が起きないのです。勉強が好きではない子はなおさら。

 大人は子どもに対して「勉強しなければならないから勉強しなければならない」的なことを言ってはなりません。先生や親は勉強に関する説明を怠ってはなりません。勿論、勉強を子どもに無理矢理やらせたり、怒鳴ることによって子どもに勉強を強いたりするのは逆効果です。恐怖支配は反発しか生みません。

 勉強すべき理由を子どもに説明することは我々大人の責務です。勉強すべき理由を子どもに具体的に説明していないにもかかわらず「なんで勉強しないの!?」と子どもを怒鳴る大人は大人失格です。先生や親など教育者たる大人は全員、このことを肝に銘じておくべきでしょう。

 子どもだって大人だって誰だって、何の意味や利益を見出せないことに取り組もうとはしないはずです。

 何でもいいので自分が取り組んでいることについて思い浮かべてみてください。あなたはそれに何かしらの意味や利益を見出しているはずです。たとえ惰性的に続けているものであったとしても、それに何かしらの意味や利益を感じて続けているからこそ惰性的に続けていられるのです。

 何かしらの意味や利益を見出すからこそ、人間は、生物は行動するのです。餌(=自分にとって意味や利益があるもの)を「餌である」と認識するからこそ生物は餌を食べるし、餌を得ようと努めるのです。

 「勉強すれば〇〇というメリットがあるんだよ」「勉強しないと□□というデメリットがあるんだよ」ということを、しっかり具体的に子どもに説明しなければなりません。「勉強しないと大人になったとき困るよ」というのは不十分です。どのようなときにどのように困るのか?なぜ困るのか?ということを具体的に子どもに説明しましょう。

 また、大人は「どのような勉強が将来的にどのようなシチュエーションにおいて意味や利益を成すか?」という観点から子どもに勉強の意味・利益を説明するべきです。

 「勉強の意味や利益」について考えるときに重要となるのは、子どもが「今をどのように過ごしたいか?」「将来何になりたいか?」ということです。これらが分かっていると「意味」や「利益」についての説明がしやすいです。

 なぜなら、客観的・統一的な「意味」や「利益」はあまり存在しておらず、だいたいの「意味」や「利益」は主観的・個人的なものだからです。

 たとえば、「数学は社会に出ても使わないから意味がない」という言葉を耳にしたことがありますが、社会には「数学を日常的に使う人」や「数学を日常的に使う職業」が存在することを忘れてはなりません。学者、エンジニア、建築家、医者、薬剤師、大工、アナリスト、看護師、弁護士など、挙げたらきりがありません。

 あなたにとっては「意味がない」としても、誰かにとっては「意味がある」ことはたくさんあります。誰かにとっては「意味がない」としても、あなたにとっては「意味がある」こともたくさんあるでしょう。ほとんどの人にとって「意味がない」としてもたった一人の誰かにとって「意味がある」ことも、たった一人の誰かにとって「意味がない」としてもほとんどの人にとって「意味がある」こともたくさん存在します。

 何かに意味を見出すのも見出さないのも当人次第なのです。何に意味を見出すかは人それぞれなのです。

 これが「意味」なのです。なので、「意味がある」「意味がない」という判断は一概にできるものではないのです。

 今は「意味」だけの話に留めますが、「利益」も「意味」と同じような性質を持っています。つまり、何かに利益を感じるのも感じないのも当人次第であり、何に利益を感じるかは人それぞれだということです。

 宇宙飛行士になりたい子ども、漫画家になりたい子ども、彼らはそれぞれ異なる「勉強の意味」、異なる「勉強の利益」を持つでしょう。そのため、宇宙飛行士志望の子に「漫画家志望の子にとっての勉強の意味や利益」を説いてもあまり効果がありません。逆もまた然りです。

 この話は、「大人と子どもがお互いの考えを共有することの大切さ」という相互理解の話にもなってきますね。子どもの勉強の出来具合というのは、単に子どものやる気や能力だけで決まるものではなく、やはり子どもと先生・親との積極的な相互交流・連帯関係によっても大きく左右されるものです。これらの話についてはまた別の機会で。

 ちなみに、先ほど私はこう言いました。

 「勉強の意味や利益」について考えるときに重要となるのは、子どもが「今をどのように過ごしたいか?」「将来何になりたいか?」ということです。これらが分かっていないと「意味」や「利益」の話をするのは難しいでしょう。

 少し付け加えさせてください。

 上記のように言ったものの、「今をどのように過ごしたいか?」「将来何になりたいか?」ということを明白に決めていない子も多いはずです。正直なところ、子どもの頃の塾長はそういうことをあまり考えていませんでした。

 そのような子に対して「勉強の意味や利益」についてに説明するとき、大人は「今後何を好きになってもいいように、今後何を目標(夢)にしてもいいように、今のうちに勉強できるようになったり、勉強する習慣を身に付けておいたりした方がいい」というアプローチで説明してみるのはどうでしょう。

 今後、新たに「〇〇に挑戦したい!」「□□になりたい!」と思ったときに、勉強する習慣や勉強への得意意識が身に付いていれば、その〇〇や□□へ取り組む心理的・能力的ハードルが下がるのです。

 勉強が日常生活の一部となっている状態、勉強によって得た成功体験(テストでの高得点、受験合格、勉強による承認などの経験)といった勉強の基礎が構築されていないと、新たな趣味や目標が見つかりそうなときにも、「勉強したくないし勉強も苦手だから無理だ」という考えに陥ってしまい諦めることが多くなってしまいます。

 しかし、上記のような勉強の基礎がしっかりと構築されていると、つまり「勉強の仕方(学び方)」や「勉強することへの慣れ(勉強への抵抗感や恐怖心がない状態)」があると、新たな趣味や目標への取り組みにスムーズに自信を持って移行できるのです。

 勿論これは、「今をどのように過ごしたいか?」「将来何になりたいか?」ということに関する考えが定まっている子にも有効なアプローチでしょう。現在、将来の夢を持っている子でも、その考えが変化することは結構あります。というか、ほとんどの場合変化します。人間の考えは変化することが常であり普通ですから。

 勉強はなにも国語・数学・社会・理科・英語だけではありませんし、この五教科ですらテストや受験のためだけに存在しているわけではありません。ただ、この五教科の理解度や習熟度が現在の社会の指標となっているというだけの話です。

 たしかに国語・数学・社会・理科・英語の五教科は、この社会における「個人の能力を測るための指標」であり、それゆえにこの社会における「勉強」の重要な基盤であると言えます。しかし「何かを習得しようとする行為や態度」という意味での「勉強」も忘れてはなりません。

 これらどちらの「勉強」にしろ、勉強することには意味がありますし、勉強することによって利益を得ることができます。ここは、勉強することに意味があり、勉強することが利益となる世界なのですから。

 少し話は変わるのですが、「この世界は、勉強することに意味があり、勉強することが利益となる世界である」という上述の考えに私が思い至ったのは、現実社会の厳しさに直面したからでした。

 私がこれまで日本社会で生きる中で、次のような率直な感想を抱きました。

 勉強が好きであるか嫌いであるかに関係なく「勉強した方が得」である、と。

 現在の日本、いや日本だけでなく基本的にどの国でも、実際「勉強した方が得」なのです。

 現在の世界において、社会的地位を左右する要因としてかなり大きな比重を占めている指標は「どれだけ勉強できるか?」ということです。

 これは現実の話であり一般論です。「このような世界が良いか悪いかはさておき」という話であるので、善悪論や理想論ではありません。そして、この場で私は綺麗事や自分の理想を述べる気はありません。

 現実問題、この世界は勉強の出来具合(特に国・数・社・理・英の五教科の)によって評価される世界なのです。言ってしまえば、困難な生活環境に生まれたとしても、勉強さえできればそれなりに身を立てることができる世界なのです。

 さきほどまでは、子ども当人にとっての意味や利益に則して「勉強すべき理由」を説明するアプローチについて話しましたが、そもそも「勉強すべき理由」の中で最も重要なのは「勉強ができると社会的に高評価されるから」というものでしょう。

 社会的な評価は地位の高低や収入の多寡を左右し、それゆえに暮らし向きや生活水準を左右するのです。勿論、社会的な評価が高いとその分、高地位・高収入・高水準な生活につながります。

 一般論として、現在の世界では、幼い頃から試験(テスト)で成績がつけられ、成績や試験によって進学先が決定し、進学先の学校の評判や地位(ステータス)によって就職先が大きく左右され、就職先によって人生が大きく左右されます。

 この世界の攻略本を書くならば、私はまずこのことを強調するでしょう。このゲームは「幼い頃から試験で成績がつけられ、成績や試験によって進学先が決定し、進学先の学校の評判や地位によって就職先が大きく左右され、就職先によって人生が大きく左右される」ゲームである、と。

 そのような世界設定になっていて、なおかつこの世界に生きなければならない以上、勉強はできた方が断然良いのです(ちなみに、この世界を変えるにしても、まずは勉強できるようになって世界の常道を経て社会的地位を高めてからの方が良さそうです)

 まず大人は子どもと話し合いながら、この点について伝えていく必要があると思います。

 この世界の現実を直視しながら「勉強の出来具合が自分の人生を左右する」ことを子どもに認識させるというアプローチと、子ども当人の個人的な意味や利益に則して「勉強すべき理由」を説明するというアプローチを併用して、「なんで勉強しなければならないの?」という疑問に真摯にリアルに向き合うことが大切です。

 夢や希望や理想を持つことも大切ですし、必要です。一方で、過酷な現実を見つめることも大切ですし、必要です。理想と現実のそれぞれを鑑みながら、両者のギャップについても考える。両者にギャップがあるのならそのギャップを縮める方策を考える。理想を現実に近づけようとするのか、現実を理想に近づけようとするのか、それらをどのようにして行うのか、どこでどのように折り合いをつけるのか、(難しいですが)そのような思考が子どもたちにも求められているのです。「勉強と将来」というテーマではまさしく、そのような思考が求められます。

 注意して頂きたいのは、私は「勉強・受験・就職の成功などによって誰もが社会的な高みを目指すべきである」と主張しているわけではありません。

 ただ、ますます厳しくなる社会情勢において、安定した豊かな生活を獲得することがますます難しくなっている中で、そのような苦境を生きていく術の一つとして「勉強ができるようになること」を子どもたちに提案したいのです。当たり前ですが、やはり教育者としては、子どもたちに良い生活をしてもらいたいのです。