「終戦の日」はなぜ8月15日なの?玉音放送ってなに?
今日、8月15日は「終戦の日」です。太平洋戦争を戦っていた日本が1945年8月15日に降伏を発表してから、今日で78年が経ちました。
今回は、日本の「終戦の日」が8月15日である大きな理由となっている「玉音放送」(ぎょくおんほうそう)について簡単に学習していきます。
※この記事は分かりやすさに重点を置くものであり、厳密で詳細な説明をするものではありません。また、この記事で紹介する見解はあくまで諸説ある内の一部です。これらの点を留意しながらお読みください。
そもそも太平洋戦争ってなに?第二次世界大戦ってなに?
「太平洋戦争」とは簡単にいうと、第二次世界大戦における大日本帝国とアメリカ合衆国の戦争です。つまり太平洋戦争は第二次世界大戦の一部であると言えます。
ということは、太平洋戦争について説明する前にまず「第二次世界大戦」について説明する必要があります。
第二次世界大戦とは、大日本帝国・ドイツ(ナチスドイツ)・イタリア王国を中心とする「枢軸国」(すうじくこく)と、アメリカ合衆国・イギリス帝国(大英帝国)・ソビエト連邦(ソ連)・フランス・中華民国を中心とする「連合国」との間で起こった世界規模の戦争です。
第二次世界大戦は1939年にドイツがポーランドに侵攻したことから始まり、太平洋戦争を戦っていた大日本帝国が1945年8月に降伏したことで終わりました。
大日本帝国は1937年から日中戦争(大日本帝国 vs. 中華民国)という戦争をしていて、さらに1940年にドイツとイタリアと日独伊三国同盟を結んだり、1940~1941年にフランス領インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)に侵攻したりする中で連合国との関係を悪化させていきました。
そして1941年12月8日に日本軍がハワイの真珠湾を攻撃して、アメリカ合衆国との太平洋戦争が始まりました。
第二次世界大戦と太平洋戦争の内容まで説明すると時間がどれだけあっても足りないので、この記事では戦争の内容には触れませんが、終戦直前の状況については簡単に触れておきます。
大日本帝国にとって不利な状況が続く中、1945年7月26日にイギリスとアメリカと中華民国の3国が大日本帝国に対して「ポツダム宣言」を発しました。ポツダム宣言の内容は、日本に対して無条件降伏を要求するというものでした。
このポツダム宣言を受け入れるかどうかの議論が政府内で行われましたが、議論がまとまらずなかなか結論を出せずにいました。
そんな中、「1945年8月6日 広島市への原子爆弾投下」、「8月8日 ソ連の大日本帝国に対する宣戦布告・侵攻開始」、「8月9日 長崎市への原子爆弾投下」という重大な事態が続き、ついに8月14日に日本政府はポツダム宣言を受け入れ、連合国に無条件降伏することを決定しました。
広島県と長崎県の位置↓
8月15日 玉音放送
そして1945年8月15日正午、日本国民に向けて「玉音放送」(ぎょくおんほうそう)がラジオ放送されました。
玉音放送とは天皇の自らの声を放送することであり、昭和天皇は玉音放送によって大日本帝国がポツダム宣言を受け入れて無条件降伏することを国民に発表しました。
日本では、この玉音放送が行われた8月15日を「終戦の日」としています。
ただし、正式に休戦協定が結ばれたのは1945年9月2日であるので、アメリカ合衆国などは9月2日を終戦記念日としています。
北方領土問題
ちなみに「北方領土問題」の直接的な原因は、1945年8月以降にあります。
北方領土問題とは簡単にいうと、日本固有の領土である北方領土をロシアが不法占拠しているという問題です。
北方領土は、択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)、色丹島(しこたんとう)、歯舞群島(はぼまいぐんとう)から構成されています。
大日本帝国とソビエト連邦は元々「日ソ中立条約」を結んでいました。この条約は、大日本帝国とソ連がお互いの領土を侵略しないことなどを約束したものです。
しかし先ほど少し触れた通り、8月8日にソ連は日ソ中立条約を破って大日本帝国に対して宣戦布告をして、千島列島と北海道方面への侵攻を開始しました。
ソ連は、日本が無条件降伏を発表した8月15日以降も千島列島に侵攻し、9月上旬には北方領土を占領しました。これ以降、ソ連は北方領土の不法占拠を続け、1991年にソ連が崩壊しロシア連邦となってからも不法占拠が続いています。
北方領土(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)の位置↓