「終戦記念日」についての学習アイデア【ポツダム宣言と玉音放送】
77年前の今日、すなわち1945年8月15日に日本はポツダム宣言を受諾・降伏し、太平洋戦争及び第二次世界大戦が終戦しました。1982年には、この「8月15日」を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることが閣議決定されました。
今日は、終戦について語る上で欠かせない「ポツダム宣言」と「玉音放送」について勉強しながら、これからの学習のアイデアを探ってみたいと思います。
ポツダム宣言
・1945年7月26日にアメリカ合衆国(ハリー・S・トルーマン大統領)・イギリス(ウィンストン・チャーチル首相)・中華民国(蒋介石国民政府主席)の三国の政府首脳の連名で日本に対して発された降伏勧告の宣言。
→アメリカ合衆国、イギリス、中国の歴史についてそれぞれ勉強してみよう。この3国についての知識は日本史にも世界史にも必要不可欠!
→トルーマン、チャーチル、蒋介石など国家の指導者の人生を振り返りながら歴史を勉強するという形態の授業は面白いかも!
・1945年7月17日~8月2日に行われたポツダム会談で協議された。ポツダム会談にはアメリカ合衆国のハリー・S・トルーマン大統領、イギリスのウィンストン・チャーチルと彼と交代したクレメント・アトリー首相、ソビエト連邦共産党のヨシフ・スターリン書記長らが参加した。
→アトリー、スターリンについても前述のように、彼らの人生を振り返りながら歴史を勉強してみよう。
・フランクリン・ルーズヴェルト大統領が1945年4月に病死し、副大統領だったトルーマンが大統領の職を引き継いでいた。
→フランクリン・ルーズヴェルトについても同様に。ついでにセオドア・ルーズヴェルトについても。
・会談期間中に実施されたイギリスの選挙で保守党が敗れチャーチルは首相を辞任し、労働党党首アトリーが代わって首相となった。
→イギリスの保守党と労働党についても勉強してみよう。保守党のグラッドストンと自由党のディズレーリがしのぎを削っていた時代のイギリスについても勉強したくなってきたな。
・この時点で日本と中立関係を保っていて、ポツダム宣言に署名していなかったソ連は、対日宣戦布告を発した8月8日に宣言に参加した。
→第二次世界大戦と太平洋戦争について、時系列に沿って改めて整理してみよう。
→8月15日以降のソ連による千島方面への侵攻についても調べてみよう。
→戦争一般についての勉強もしておこう。
・中華民国はポツダム会談には参加していなかったが、中華民国の蒋介石が宣言に同意したので、ポツダム宣言は米英中の三国首脳の名で発された。
→ポツダム会談、カイロ会談、テヘラン会談、ヤルタ会談など第二次世界大戦中に行われた会議・会談についてまとめてみよう(出席した国・人物、議題、成果などをまとめる)。
・日本は1945年8月15日にポツダム宣言を受諾し、9月2日にポツダム宣言の履行などを定めた降伏文書に調印した。これにより、太平洋戦争及び第二次世界大戦が終結した。
→この「9月2日」が終戦日であるとの見方・意見も存在しているそうだ。各国の終戦記念日について調べてみるのも面白そうだ。
・7月26日に発されたポツダム宣言を未回答のまま黙殺していた日本政府だったが、8月6日に広島、8月9日に長崎に原子爆弾を投下されたこと、8月8日にソ連に宣戦布告されたことなどが要因となり、日本政府はポツダム宣言を受諾したと言われている。
→原爆の理論・構造や開発史について調べてみよう。どのような科学者が開発に携わったか?という視点を意識しながら。
→核兵器や核開発の歴史、核兵器・核開発の規制の歴史についても調べてみよう。特に、冷戦期の米ソ間の核開発エスカレーションなどを勉強しよう。
玉音放送
・1945年8月15日の正午に、昭和天皇自らが「終戦の詔(みことのり)」を読み上げて、ポツダム宣言の受諾による太平洋戦争終結の決定を国民に伝えた録音放送のこと。
→天皇と皇室の歴史について調べよう。天皇(権威)と幕府・政府(権力)との関係という視点を意識しながら。
・当時、日本で唯一の放送局であった日本放送協会(現在のNHKラジオ第1放送)から放送された。
→放送の歴史について調べよう!「ラジオの歴史」という具体的な勉強・授業も良いかも。
・それ以前に天皇がラジオに出ることはなかった。
→当時の人々が天皇の神格性についてどのように捉えていたのか?ということが気になりだしたので、調べてみたい。終戦翌年(1946年)の「人間宣言」についても調べてみよう。
・天皇が録音したレコード盤を奪取し放送を中止させようという、一部の陸軍将校による動きがあったものの、無事に放送された。
→戦前の日本でのクーデター未遂事件について調べてみよう。1932年の五・一五事件や1936年の二・二六事件など。
→レコードの仕組みや歴史について調べよう。
・玉音放送自体は約5分だったが、その前後の終戦関連のニュースを含めた番組全体としては約37分あった。
→報道の歴史について調べよう!
・「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」の部分は特に有名である。
→玉音放送の全文を読んで、勉強や授業に活かせるアイデアを探ってみたい。