なんで勉強しなければならないの?【新たな自分のために勉強する】
「なんで勉強しなければならないの?」
この疑問への答え方には様々あります。前回は「現代社会は勉強できることが評価される社会である」という観点から勉強の意味や利益について述べました。
今回は、「勉強という態度・姿勢を養うことによって人生の諸問題に効果的に向き合える」という観点から勉強の効能について述べます。
「勉強」と「人生」に密接な関係なんかない。そのように思っている人は多いと思います。
その理由としては、勉強のイメージがあるでしょう。
「勉強」には、机に向かって、国語・数学・社会・理科・英語などの教科のテキストを黙々と読んだり解いたりするというイメージがあります。
勿論このようなイメージも「勉強」の狭義のイメージとしては相応しいものですが、それだけが「勉強」ではないのです。私は勉強の広義的な意味を次のように捉えています。
「何かを習得しようとする技能や姿勢」を養うための取り組みとしての「勉強」を忘れてはなりません。
「何かを習得しようとする技能や姿勢」は人生を生き抜く上で必要不可欠のものであり、この技能や姿勢を発揮するべき機会は、学校・家庭・職場などのいかなる環境においても、いつでもたくさんあります。
誰の目の前にも絶えず問題が立ちはだかるのが人生です。一生のうちで誰もが数々の難問を解決したり軽減したりする必要があるのです。そして、問題に見舞われるたびに「何かを習得する」必要が生じるのです。
問題とは、今までの自分では解決・軽減できないからこそ「問題」として立ちはだかるのです。人生を生きる中で、今までの自分の能力ではどうしようもできない問題がいくつも現れるのです。人生には、問題を解決・軽減するために「今までの自分から新たな自分に変わる」必要性に迫られるタイミングがいくつもあるのです。
「今までの自分から新たな自分に変わる」ための方法としては様々あるでしょうが、その一つの方向性として「新たな能力を習得する」「持っている能力をさらに伸ばす」というものがあります。特に、問題を解決したり軽減したりするためには、この方向性の変わり方が相応しいと思います。
人生はいつも予測不可能です。我々は「明日は今日と同じような日であるはず」という前提を無意識的に持っています。たしかに、ほとんどの人にとってはそういう明日に生きるのでしょうが、実際のところ「明日に何が起こるのか」なんて分かりません。今日の出勤・登校中には事故に遭わなかったけど、だからといって明日も事故に遭わないなんて断言はできません。
そして、明日でさえ予測不可能なのだから、来年や数十年後のことなんて誰も分からないのです。
我々はある程度の予測はできますが、当然その予測が当たる保証なんてありません。我々はいつでも問題に見舞われ得るのです。そして、来るべき問題に備えるために、来た問題に対処するために、能力を習得したり伸ばしたりする必要性が常にあるのです。このことを忘れてはなりません。
特に学生にとっては目の前の試験(テスト)や受験が喫緊の関心事であるはずなので、国・数・社・理・英という五教科に取り組むことこそが「勉強」であると認識していることが多いと思います。
しかし、「勉強」することによって養われる「何かを習得しようとする技能・姿勢」が人生の様々なステージの様々なシチュエーションであなた自身を助けてくれることを忘れないでください。
「なんで勉強しなければならないの?」と勉強の意味について疑問に思うことは当然です。参考になるかはわかりませんが、私は自信を持って「何に関する勉強にも重大な意味・必要性がある」と断言します。
勉強をやって損することなどないのです。たとえ目前の成果に結びつかなくとも、勉強に取り組んだ経験、勉強に取り組むことによって得た知識・思考法・技能・姿勢は、後の別の成果につながり得るし、人生の諸問題に対処するための重大な力ともなるのです。